稲荷堂の日記

2021年08月09日 15:46

稲荷堂の日記

ひとつの体験の回想、以前 岡山県北の呪い釘をやるお寺のそばで当時国会議員の秘書だった私は集会を開催して後片付けをしていました。地元の方が遅くなるとさわりがあるといわれ、深夜に近道の山越えをして帰路についたとき、カキーン カキーンと音がして、車を進めていくうちにどんどん音が近くなってきました。霞んだ山の湿気のあるじめじめした中に白い服を着た姿の明らかに女性が頭にろうそくをつけて立っていました。ご祈祷は見られたら呪い返しがあると言うのは定番の話、車に向かって女性は走ってきました。強くなってアクセルを踏んで逃げて山下の飲食店まで降りて行った覚えがあります。話をしてスッキリしておばさんと世間話をして朝の3時ごろまでご迷惑をかけていたその時ブルゾンを羽織ったスカートを履いた女性が入ってきました。私は殺されるかなと思いました。しかし泣き崩れて自分が山で呪い釘を打っていた本人であることを自白、三人で朝まで話しを聞いて、お酒を飲んでおりました。手相を見てびっくり、かなり精神の痛みを見ました。鏡と櫛、トンカチに釘だけはくださいねと言って 飲食店のおばさんに茶封筒をもらい 封をして朱で封印して、預かって6日に会いました。額に十字架を書きながら 手、足とつめていき、除霊をしました。16日、26日と除霊いたしました。完全に呪縛からとけると、かならずすぐに目の前から消えていき、何事もなく ふつうの生活にもどり、いままでのことを触れなくなり嫌う、本当は今が大切なんだけどね。神縁が切れちゃうのをなんとも思わない風潮は良くないと思います。またぶり返したとき 申し訳なさそうに連絡をお受けしますが、神の子たからこそ 神は子供を叱り、手を離すなだろうといつも感じます。拝

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